始まり


広報委員会より:
この研究会の歴史については、機関紙「成人病予防」の第8号(1993.11)鹿児島県消化器集団検診研究会30周年記念号の巻頭言・佐藤八郎「胃集団検診と胃癌の早期診断」より抜粋、一部加筆し掲載いたします。



巻頭言:佐藤八郎 日本における早期胃癌診断技術の進歩・普及と相まって、大学で胃癌患者を待っているより、地域住民の中へ飛び込んで行って早期癌を見つけ出そうという胃集検の検討が始められ,昭和38年に日大(有賀),東北大(黒川、山形),京都府立医大(増田),岡山大(小坂),九大(入江),鹿児島大(佐藤)を中心として「日本胃集団検診学会」が誕生した。
鹿児島県では昭和36年にエーザイ株式会社が試作した検診車「エーザイ号」を約1ヵ月間借用して,県内各地を巡回し,間接X線撮影による胃集検が初めて実施された.同年末には「南日本胃を守る会」が大学・医師会・県行政・対ガン協会・南日本新聞社の連名で結成された.新聞での広報の効果もあって希望者が多く,早朝より夕方まで撮影及び読影に大童であった。住民及び行政に大きな反響があり、昭和38年には当時の寺園知事に直接交渉して全国で始めての県単独の検診車が誕生した。


鹿児島方式 胃集検受診者が3万人を越える頃までは、大学の医師が現地の医療機関を借りて間接読影から精密検査まで一貫して胃集検を行っていたが、大学の業務もあり教室の中馬康男君を中心に昭和43年「間接読影委員会」が結成され、放射線科の医師も参加して読影基準が作られた. 翌年には県内各地域に「精検委託協力医療機関」が組識され、同時に各地域の研修会も発足した。
さらに精検結果と間接所見を調整する「精検チェック方式」が始められ,間接フィルム読影から精検までの一貫した体制が採用された.これは全国に先駆けて組織された所謂「鹿児島方式」と云われる胃集検システムで,地域医療に根付いた精度管理を中心とする胃集検体制の確立を意味するものであった.
胃集検開始当初は胃癌の救命効果は20%位であったが,最近では早期癌は勿論、進行癌でもpmどまりであれば90%の生存率が得られており,これは早期発見の効果といえる。こうした胃癌の早期診断の向上は、精検機関病院における早期胃癌診断技術の進歩に拠るところが大きく,関係者の努力精進のお陰である。
全国に先がけて鹿児島県の「ことぶき1号」検診車が誕生して以来30年の年月が過ぎようとしている。
鹿大の二内科を始め、放射線科・第一外科・病理学教室等の努力は勿論,医師会を中心とする第一線の実地医家の協力と研讃があって今日の鹿児島方式が出来上ったものであり,この30年間に延受診者数は180万人,発見癌は2,000名に達し,早期癌比率50%に至っている。
国民死亡率の主位を占める癌は今なお上昇しつつあるが、その中で胃癌死亡率はやや減少しつつある。胃癌対策を緩めるわけにはいかないが今後は肺癌・乳癌・大腸癌・肝癌等の早期診断に向けての検診が課題であろう。今後とも「癌との闘い」はなお続くであろう。